マリ・クレール通り、44年目の最終日
今日5月31日、九品仏川緑道で「春のマリクレール 2026」が18時に幕を閉じる。 この通りに「マリ・クレール」という名前がついたのは1982年11月3日。あれから44年目の最終日が、フェスティバルの夜と重なっている。
今日、44年目の最終日
九品仏川緑道の一帯に、花、植物、陶器、コーヒー、スイーツが並ぶマーケット。ステージから音楽が流れ、フードエリアで人が立ち止まる。
「春のマリクレール 2026」は5月30日と31日の2日間で開かれた。31日は12時から18時まで。編集部が書いている今、最終日の半ばを過ぎたところです。
この通りに「マリ・クレール通り」という名前がついたのは1982年11月3日。今日から数えて44年目の春の終わりが、フェスティバルの夜と重なります。
なぜ「マリ・クレール」なのか
旧称は「とうきゅう通り」。1982年、フランスのファッション雑誌「Marie claire」の日本語版が創刊された同じ年、地元商店主や地主の発案で、地区のイメージ向上を目的に通りの愛称が改められた。中央公論社(嶋中鵬二社長)、マリ・クレール・アルバム社オーナーのマダム・プルボー、在日フランス大使館の協力で実現したと記録されています。
雑誌の名前が、通りの名前になる。雑誌は毎月新しい号が出て、古い号は片付けられていきますが、通りの名前は残ります。1982年の雑誌名が、2026年の今もこの通りを覆っています。
自由が丘南口商店会の副会長だった渡辺靖和氏は、「商店街は横に広がったデパートである」という姿勢で活性化に関わったと Wikipedia に記録されています。一つの店が縦に積み上がる百貨店ではなく、街全体が横並びで一つの売り場になるという見方。この哲学が、今日の緑道のマーケットエリア・ステージエリア・フードエリアの並びに、形を変えて続いています。
1993年、祭りが始まる
通りの名前が決まってから11年後の1993年、「マリクレールフェスティバル」が始まった。
毎年5月と10月の年2回。フランス国旗が掲げられ、シャンソンライブが行われる祭りとして続いてきた。九品仏川緑道の並木とベンチが、そのまま会場の一部になる。雑誌名から通り名へ、通り名から祭りへ。自由が丘南口は三段階で街のブランディングを組み立ててきました。
その祭りの春版が、今日18時に終わります。
4つの商店会、同じ週末
この週末に動いていたのはマリクレールだけではありません。5月30日と31日、4つの商店会が同日開催で動いた。
- 春のマリクレール 2026 (自由が丘南口商店会、九品仏川緑道一帯)
- THE J 自由が丘 MARCHE
- 石巻ブース
- ひかりハンズ
石巻ブースは、宮城県石巻市の関係者が「東日本大震災で全国の皆さんから支援を頂いた『恩返し』」として参加。マリクレールの音楽、石巻からの恩返し、子ども向けおもちゃ広場、アートマルシェ、ボードゲーム体験。同じ街の同じ週末に、別々の系統で組まれた4つの動きが重なっていました。
南口商店会の副会長が語った「横に広がったデパート」という言葉が、今週末の自由が丘の地図を見ると立体的に見えてきます。
5月から6月へ
18時、ステージの音が止む。
通りの名前は残ります。1982年から44年、雑誌名としての「マリ・クレール」を知らない人が街を歩いても、緑道と石畳と、その名前は変わらず残り続けます。
来週には6月。6日から8日には近くで多摩川浅間神社神幸祭が、6年ぶりに宮神輿の渡御を伴う形で開かれます。5月のマリクレールが幕を閉じ、6月の街は別のリズムで動き始めます。
44年目の春は、今日18時に静かに終わります。