65年前、駅前ロータリーに女神が立った — 来週末そのステージが動く
駅正面口を出てすぐの円形ロータリーの真ん中に、背中に翼を持つ裸婦の像が立っている。 1961年に立ったから、今年で65年。雨の今日、女神は静かにそこにいる。 来週末5月30日と31日、その足元のステージで街の催しが動き出す。
雨の日曜、女神は立っている
午後5時の駅正面口。明け方まで降っていた雨はやみ、空はまだ重い灰色のままだ。ロータリーの中央、信号待ちの傘の列の向こうに、背中に翼を持つ裸婦の像が静かに立っている。
通り過ぎる人はあまり見上げない。バスを待つ人、迎えの車を探す人、駅に吸い込まれていく人。みんな足元の水たまりを見ている。けれど、像はずっとそこにいる。1961年から、ずっと。
65年。改めて数字を口にすると、少し驚く。
1929年の駅名、1961年の像
『蒼穹(あをそら)の像』というのが、この像の本来の名前だ。通称は『女神像』。彫刻家・澤田政廣の手による作品で、昭和36年(1961年)に駅前広場に建てられた。
行政が立てたものではない。地域住民が建設委員会を設立し、資金を集めて制作したと記録されている。街が、自分たちの真ん中に立てた像なのだ。
澤田政廣は1894年生まれ、1988年に没した日本の彫刻家。静岡県熱海市の出身で、代表作には『祥天』『大聖不動明王』がある。郷里の熱海には澤田政廣記念美術館もある。その作家の作品が、東京の私鉄駅前にひとつだけ、街の中心に置かれている。
夜になるとライトアップされる。雨の日も、晴れの日も、ずっと。
少し時間を遡ると、もうひとつ街の固有名詞の話が出てくる。1927年(昭和2年)、手塚岸衛が自由ヶ丘学園を創立。1929年(昭和4年)、石井漠ら文化人の要望活動によって、駅名が『自由ヶ丘』に変更された。1932年に町名認可、1965年に『ヶ』が『が』に表記変更されて現在の『自由が丘』になる。
つまり、駅名の方が像より32年先輩。けれど『街の中心に何かが立っている』という形で街の象徴が物理的に置かれたのは、1961年のこの像が最初だった。
駅名は1929年、像は1961年。32年の時差を経て、街は『自由が丘』という固有名詞と、それを物理的に体現する一つの像を、両方手にしたことになる。
女神像から、女神まつりへ
像が立った12年後、1973年(昭和48年)に始まったのが『自由が丘女神まつり』だ。毎年10月に開かれる、自由が丘最大のイベント。主催は自由が丘商店街振興組合。
像があったから、まつりの名前になった。順番としてはそういうことだ。65年前に街が立てた像が、53年前に街最大のまつりの名前を生み、今もその名前は続いている。
像から、まつりへ。固有名詞の連鎖が街の真ん中で起きている。
来週末、足元でステージが動く
5月30日(土)と31日(日)、この女神像の足元 — 通称『女神広場』のステージで、催事が開かれる。
『THE J 自由が丘Marche』。主催は自由が丘駅前中央会、企画はPOiNT。ステージには岩下食品のキャラクター『イワシカちゃん』が立つことが告知されている。
詳しい中身は別記事で書いたので繰り返さないが、ここで触れておきたいのは『場所』のことだ。来週末、像の足元で何かが起きる。65年間ここに立っている像の真下で、街のステージが組まれる。
雨の今日、像は次の週末を待っているようにも見える。もちろん像は何も待っていない。ただ立っているだけだ。
来週、ロータリーを通ったら
来週末、駅正面口を出てロータリーを通る時、信号待ちのほんの数秒だけでいい、視線を少し上げてみよう。
ステージの後ろに、背中に翼を持つ裸婦の像が立っている。1961年から立っている。来週末の賑わいも、再来週の静けさも、雨の日も、晴れの日も、ライトアップされる夜も、ずっと立っている。
65年前に街の人がお金を出し合って立てた像が、来週末のステージを見下ろしている、ということになる。
それを知っているのと知らないのとで、ロータリーの真ん中の景色は、少し変わる。