コーヒーの跡に 400 種の茶葉が並んだ — ルピシア自由が丘本店、6 年目
かつてここは上島珈琲店だった。 2020 年 7 月、コーヒーの灯が消えた跡に、400 種類の茶葉を並べた店が灯った。 ルピシア自由が丘本店。田中ビル 1 階で、6 年目になる。
コーヒーの灯が消えた跡に
女神通りとすずかけ通りが交差するあたり。 田中ビルの 1 階には、かつて上島珈琲店自由が丘店があった。 深く焙煎されたコーヒーの香りがガラス越しに漏れていた、あの場所だ。
2020 年 7 月 21 日、その間口に新しい看板がかかった。 ルピシア自由が丘本店。 コーヒーの香りが立ち昇っていた一角に、今は紅茶と緑茶とハーブが並んでいる。 業態が一度入れ替わった場所に立ってみると、街角というのは案外、軽やかに装いを変えていくのだと気づく。 コーヒーの店があったことを覚えている人もいれば、最初からお茶の店だと知っている人もいる。 同じ通りを、それぞれの記憶を抱えてすれ違っていく。
1994 年、レピシエとして
会社の出自は 1994 年 8 月 17 日にさかのぼる。 当時の社名は「株式会社レピシエ」。 2006 年 10 月、現在の「株式会社ルピシア」へ社名が変わった。 創業者の水口博喜さんは、現在は会長を務めている。
店名が「レピシエ」だった頃を覚えている人もいる。 看板の文字が変わっても、ブランドが続いていけば、街にとっては地続きの記憶になる。 会社の設立からは、30 年あまり。茶葉を売る、というひとつの仕事を、看板を更新しながら続けてきた。
2020 年 7 月、熊野神社の近くから田中ビルへ
移転前の店舗は、熊野神社にほど近い場所にあった。 旧店舗の閉店日は 2020 年 7 月 7 日。 ちょうど 2 週間後、新店舗が今の田中ビル 1 階で動き始めた。 外出自粛が続いていた 2020 年夏のことだった。
自由が丘経済新聞が同年 9 月に伝えた記事には、リニューアルを記念した企画として、ティーバッグ 100 種を集めたセットを「おうち時間を応援」というテーマで限定販売した、と書かれている。 家から出にくくなった夏に、家で淹れるための茶葉を並べる。 店としては縮小と再起動が重なった移転だが、街の側からは、店構えが少し変わっただけの出来事として通り過ぎていく。
旧店舗にあったティーサロンとティースタンドは、移転と同時に閉店している。 お茶を淹れて出すスペースは、ここでは引き継がれなかった。 継続したのはティースクールだけ。 お茶を売る店として、形をひとつ絞り直したかたちになる。
田中ビル 1 階の現在、年間 400 種
自由が丘振興組合の店舗紹介には、年間 400 種類以上のお茶を扱う、と書かれている。 紅茶、緑茶、烏龍茶、ハーブ。 フレーバードティーから素朴な日常茶まで、季節ごとに茶葉の顔ぶれが入れ替わる。
店内に並ぶのは茶葉だけではない。 本店限定の商品があり、特別なセレクションの茶器が控えめに並ぶ。 そして北海道ニセコから直送されてくるアイスクリームのケースもある。 お茶の店にアイスクリームのケースが置いてあるのは、本社の所在地と無関係ではない。 ルピシアの本社は北海道ニセコ町にある。 2017 年には町内に工場が完成し、2020 年には本社機能の一部がニセコに移された。 お茶の包みを買って、北海道のアイスを 1 本持って帰る、という買い物が、自由が丘 1-26-7 の店先で成立している。
店全体のコンセプトは「自然との共生」。 派手な色を抑えた装いで、茶葉の缶と棚板の木目が、店内の主役になっている。 店に入ってすぐ目に入るのは、缶の側面に並ぶ茶葉の名前の一覧だ。 産地、製法、香りの系統 — 名前を順に眺めているだけで、しばらく時間が過ぎていく。 ひとつの店の中に、400 通りの帰り道がある、と言ってもいい。
街に旗艦店があるという日常
全国に展開する茶葉店の、本店が自由が丘にある。 会社の設立からは 30 年あまり、田中ビル 1 階に移ってからは 6 年目。 看板の文字が一度変わり、住所が一度変わり、店内のサロンスペースが消えても、店はこの街角に残っている。
ニセコに本社機能が一部移っても、自由が丘の住所が「本店」であることに変わりはない。 街に旗艦店があるという日常は、当たり前のようでいて、案外、その当たり前を意識する機会は少ない。 他の街に住んでいる人が、わざわざ自由が丘まで茶葉を買いに来る場所が、いつもの通り道にある。 そのことを、駅正面口を出て、女神通りを歩きながら時々思い出してもいい。
次にこの交差点を通る時、田中ビルの 1 階を少しだけ覗いてみる。 扉の向こうに、400 種類の茶葉が、いつものように静かに並んでいる。