白い暖簾が立って20年、関西の老舗が自由が丘で焼くカステラ
自由が丘1-24-11、白い暖簾。「黒船 自由が丘本店」が東京の路面に立ったのは2006年。 ブランドを起こした株式会社黒船そのものは2003年創業、その母体は1919年長崎で生まれ 1924年に大阪へ移った長崎堂。107年前の長崎、100年余の大阪、そして20年前の自由が丘。 系譜が一本の暖簾の奥でつながっている。
20年前、東京の路面を選んだ
自由が丘1-24-11。駅から歩いて、ふと足が止まる場所がある。白い暖簾、白と黒を基調にしたパッケージが並ぶ硝子の向こう。「黒船 自由が丘本店」。
商店街振興組合の店舗案内によれば、この暖簾が目印で、店内には菓子の工房が併設されている。職人がその場で焼くカステラの店。20年前、この路面を選んだのは、関西の老舗だった。
株式会社黒船の公式会社概要によれば、同社の創業は2003年。代表者は荒木茂野。資本金は2,000万円。和洋菓子の製造及び販売を事業とし、店舗は国内21に展開する。本社所在地は、東京都目黒区自由が丘1-24-11 ― 自由が丘本店と同じ住所だ。
ブランドの1号店は2003年に阪急うめだ本店に置かれ、自由が丘本店は2006年に開いた、と大阪産業創造館の取材記事 (Bplatz) は伝える。関西で生まれた新ブランドが、3年後に東京の路面へ出る。その出店先が、自由が丘だった。
関西発祥のブランドが東に踏み出すのに、これほど分かりやすい看板の街もない。和菓子店、洋菓子店、パン屋、チョコレートの店が一つの駅周辺にひしめく自由が丘で、白い暖簾を掲げて路面に立つ。それが20年続いている。
107年の系譜 ― 長崎、大阪、自由が丘
黒船の背景には、もう少し長い時間が積まれている。Bplatz の同記事によれば、黒船の母体は長﨑堂。1919年に長崎で創業し、1924年に大阪へ拠点を移した老舗のお菓子メーカーだ。黒船はその新ブランドとして2003年に立ち上げられた。
ブランドの立ち上げは、四代目社長の荒木貴史と取締役の荒木志華乃の二人三脚だった、と同記事は伝える。共にデザインを学んだ二人。出だしの試みは失敗に終わり、その失敗を糧にブランドの定義を明確にする作業から始めた、と同記事は記している。
新ブランドで注力すべきは90余年の歴史で培った商品力だ ― そう確信し、「余分な要素をそぎ落とすこと」に徹した。出てきたのが、白と黒。商品そのものの存在感を際立たせるためのデザイン、と同記事は説明する。
107年前の長崎、100年余の大阪、20年前の自由が丘。一つの暖簾の奥で時間が積み重なっている。
看板の解像度 ― 手焼きカステラと、本店限定の一本
公式の店舗案内によれば、看板商品は黒船カステラと黒船どらやき。店内に併設された工房で、職人が一つ一つ手作りする。カステラとどら焼きが、白い暖簾の奥で並ぶ。
そして、自由が丘本店にしか並ばない一本がある。公式 Facebook の案内によれば、「黒船丘ばちカステラ」は自由が丘本店限定として案内されてきた商品で、自由が丘工房で焼き上げられる。特徴は「丘ばち蜂蜜の香りが生きる華やかな味わい」。
ここで、街の話が交差する。同投稿によれば、この一本に使われているのは「目黒区自由が丘で実施されている都市型養蜂活動で採蜜された丘ばち蜂蜜」だ。街の屋上で集められた蜜が、街の路面の工房で、本店限定のカステラに焼かれている。
2階の和テイスト ― café COCOOCEN
白い暖簾をくぐり、階段を上がると、本店限定のカフェ「COCOOCEN」がある。商店街振興組合の店舗案内によれば、2階の本店限定カフェ。営業は11:30-17:00 (L.O.16:30)、月火定休。
公式のメニュー案内によれば、看板はMIRAIカステラ 1,320円。秘密のソースを染み込ませた、温かいカステラだ。ほかに黒船プレート 1,320円、コクセンムスビ ランチセット 1,210円、日本茶880円、抹茶990円。
「木の温もりを感じるモダンな和テイスト」と公式は記す。スタッフが茶釜を使い、日本茶を淹れる。
カステラを焼く工房を1階に置き、その上にお茶を淹れる空間を載せる。階を分けてはいるが、所作は地続きだ。
街の中の循環 ― 屋上の蜜が、路面の暖簾の奥へ
2006年から2026年で、ちょうど20年。
長崎で1919年に生まれた菓子の系譜が、大阪を経て、自由が丘の路面に立った。そして20年のあいだに、街の屋上で採られた蜜と結びつき、本店だけで焼かれる一本を生んでいる。よその街では再現できないカステラだ。
白い暖簾の前で立ち止まる時、目に入るのは、白と黒のパッケージだ。けれど、その奥には1919年からの時間と、自由が丘の屋上で集められた今日の蜜が、ともに置かれている。
次にこの角を通る時、編集部は、白い暖簾の前で少し足を止める。